純喫茶丸 8knot    〜喫茶店で考えた〜

2015年からの純喫茶訪問ブログ。純喫茶をはしごする船ということで”純喫茶丸”という船の名前がタイトルです。

【東京都:自由が丘】モンブラン(TOKYO JIYUGAOKA MONT-BLANC)*ケーキのモンブラン元祖のお店*

もう洋菓子店シリーズを始めることにする。
駒込のカド、東中野ルーブルに続き、今日の洋菓子屋さんは自由が丘のモンブランだ。

モンブランといえばケーキのモンブラン!とわたしはまっさきに思うのですが、
モンブランとはそもそも西ヨーロッパ最高峰のことだ。つまり山です。ケーキのモンブランの由来は、そもそもこのお店の創業者が、フランス東部にあるモンブランの峰に感動して、ケーキに名付けたのが始まりだそうだ。喫茶店巡りをしていると、いろいろなお菓子の歴史を知ることができる。貝型のマドレーヌを初めて使ったのは、駒込の洋菓子店カドだと知ったりもした。残念ながらカドは8月で閉店してしまったが...。

 

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わたしの初めて物語

東郷青児さんという画家を知ったのも喫茶店をめぐり始めてからだ。
いわばにわかである。画伯の描くうっとりと夢見る女性の絵は、甘い香りの洋菓子屋さんのイメージにぴったりだ。もともと紙モノを集めるのが趣味の私にとって、新しいジャンルを知ることができ世界が広がった(いまは洋菓子屋さんの包装紙集めている)。
東郷青児美術館の存在は知っていたが、東郷さんって損保会社の関係者だと思っていたくらいだ。

名峰プリンアラモード

モンブランではケーキやフランス焼き菓子の店頭販売のほかにも、奥には喫茶コーナーもあり喫茶メニューも充実している。コースターも可愛い。写真を撮っていると、そのときに自分が何にはまっていたかを振り返れるから楽しい。このプリンアラモードは数量限定で提供数が少なめのだという。こちらのプリンアラモードモンブランの峰のように美しくそびえ、裾野や山肌にはフルーツの可憐な花がさいている。

なんでこんなに私喫茶店に行くのだろうか。そこに喫茶店があるから、だ。それしか理由が見当たらない。未訪問のお店はまだたくさんあるし、喫茶店巡りは永遠に…つづく。

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お土産にマロングラッセを購入しました。手提げ袋も可愛い!ゴールドの縁取りのピンクのリボンも最大級にキュートでした。今度はモンブランを食べに行かなくちゃ。

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東京都目黒区自由が丘1-29-3

【2017年9月訪問】

 

【東京都:東中野】洋菓子 ルーブル*セレナーデと氷島の漁夫*

ルーブルのセレナーデは美しい。セレナーデとはこちらのお店で提供しているパフェの名前だ。センスが素敵だ。ピンク色の何ともみずみずしい色合いのパフェは、アイスクリームがメインだ。初々しく甘い味。むかしトリノという三色のアイスバーがあったが、そのストロベリー味を少し洗練させた味がした。懐かしい。

  

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セレナーデとは、恋人の部屋の窓下でかなでる恋愛の歌のこと。

ルーブルへのお供には、どんな本がいいか考えてみた。カズオ・イシグロの『夜想曲集』という短編集が一番に思いついた。

英国は霧のイメージがあり、少しアンニュイな雰囲気があるところが美しいと思う。
北フランスの港町にも少し似た雰囲気があるようだ。19世紀のフランスの作家ピエール・ロチの名作『氷島の漁夫』もロマンティックだ。北フランスブルターニュの漁村を舞台に、移ろいやすい無限の世界に生きる人々をの姿を描いた作品だ。海と共に生きる宿命というべき、運命に翻弄される男女の物語。切ない旋律のセレナーデが似合う絵画のような美しい作品だった。

眼にはわずかに海とおぼしいものが認められるだけだった。最初それは何も写すもののない揺れ動く一種の鏡のようといったような外観を呈していたが、それは何やら霧の原にでもなっているに見えた。そしてそれから先はもう何も見えなかった。それには水平線もなければ境目もないのだった。出典(ピエール・ロチ「氷島の漁夫」

海と光とバラ色が全て混ざったような麗しい世界。北極の夜のない夏には、夜を媒介しない境界のない世界がやってくる。

いつの間にか次の日になっているような。不思議な夜だ。

海面の鏡が輝き、夜と海しかない世界にバラ色にほのかに伸びるいく筋もの線を映し出していた。(同上)

そんな境界のない夜と朝の間に聴くなら、セレナーデがよく似合う。

荒涼とした港町の高台の侘しさに対して、海辺の人々の純粋で溌剌とした前向きさがコントラストになっていた。『氷島の漁夫』よかった。

誰にも触られていない果物のようにいかにもフレッシュなビロードの肌触りだ。(同上)

こうして喫茶店と本は不思議と縁をもたらしてくれる。
東中野ルーブルに入ると、現実と祈りが曖昧になって、心が溶かされほぐれていく。

氷島の漁夫』は、田山花袋の『東京の三十年』という本の中で、
給料を前借りしてでも欲しかった作品だとあった。たまたま喫茶店への道すがらに古本屋さんで見つけた時は即決だった。

 

氷島の漁夫』は日本でいうと、明治時代の作品だ。
作中に船内の聖母像に祈る場面があるが、技術が発達する前の航海は、信仰や迷信にすがらないとならないほど、運命に翻弄されるものだった。むかし、船をつくる際は、芸術性を競い、船の舳先にマリア様や騎士などの彫刻が施されていたそうだ。往時の航海は祈りと共にあった。今は効率やスピード優先の商船には、船首像があるものはほとんどない。練習船などには、その名残があるそうだ。
例えば練習船日本丸がそうだ。

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*前回は絶品のミートソースを食べていました。

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【2015年9月他】

 東京都中野区東中野4-1-8 上原ビル 1F

【埼玉県:蕨】喫茶クラウン 中に入りたい喫茶店 No.1

喫茶クラウンは埼玉県蕨市にある。蕨駅の東口から徒歩5分程度の場所だ。
二股に分かれる路地の角にある。ふつうの喫茶店と思いきや、なかは別世界だ。

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『打ち上げ花火、埼玉から見るか、東京から見るか』

関東の夏の花火大会に、荒川を挟んで東京と埼玉から、両岸から鑑賞できるものがある。埼玉からも東京からも同じ花火が見えるのだ。ここ蕨駅は、東京のすぐ近所(お店の住所は川口市)。川を挟んだ東京のお隣さんだ。山田孝之さん主演ドラマでお馴染みの赤羽駅(東京都北区)から蕨駅までは電車で約10分の場所だ。ここにこんな生き生きした昭和遺産がある。

 

昭和の喫茶店や町の洋食屋さんのオムライスって、なんでこんなに憧れてしまうのか。あきらめの対義語として憧れという言葉があるなら、もう諦めかけているからかもしれない。この味が出せるお店は、よほど探さないとない。フライパンに染み込んだお店の味というか。継ぎ足しのタレのように、丹精が継ぎ足されているのだと思う。何回も何回も炒められ、振られたフライパンは深みが出るに違いない。このお店のオムライスは懐かしい優しい味わいのオムライスだった。

見上げると、吹き抜けの天井から流れるシャンデリアがある。美しい螺旋を描く階段は華々しい。それもそのはずで、むかしはここで結婚式も行われていたのだという。
礼拝堂のように高くそびえ、輝く天井に心躍らせる。二階に上がらせてもらい〈かぼちゃランプ〉と店員さんが呼ぶオレンジのシェードにしばしうっとりした。時が止まったような錯覚は、階段を一段ずつ降りるごとに元に戻る。現実に戻る前に、もう一度この素晴らしい空間を見渡した。

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埼玉県川口市芝新町3-19

【2017年6月訪問】

【静岡県:熱海市】サンバード*川端康成の波千鳥とともに*

熱海駅に出迎えていた車が伊豆山を通り過ぎ、やがて海の方へ円を描くように下っていった。宿の庭へはいっていた。傾いた車の窓に、玄関の明かりが近づいて来た。(出典:「波千鳥」川端康成

(大意は、”昔を思い出してしんみりしてしまう。”という意味

これは川端康成の小説『波千鳥』の冒頭文だ。
千羽鶴』の続編として書かれたものだが、作中には日本の自然風景がたくさん盛り込まれている。四季の豊かな色あいを感じる彩りあふれる名作だと思う。

小説の冒頭は、主人公が新婚旅行で訪れた熱海が舞台となっている。

熱海の東海岸へ向かうには、来宮駅から長くくねった坂を下って海岸へ出る。
純喫茶サンバードは熱海駅の隣駅である来宮駅が最寄りだが、『波千鳥』の冒頭文のように、坂道の途中、宝石のように光る波を家々の間に見ながら、海岸線に降りる。『波千鳥』というタイトルが詩趣に富んでいる。

波千鳥とは、妻が着ている千鳥模様の襦袢の裾を見て、主人公が思い描いた世界観だ。

淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに古思ほゆ
(あふみのうみ、ゆふなみちどりながなけば、こころもしのに いにしへおもほゆ)-万葉集: 柿本人麻呂

主人公は妻の襦袢に描かれた千鳥を見て、柿本人麻呂の歌を思い出す。
そして、『これは波千鳥だね』と褒めた。この科白がタイトルのもととなった。

この人麻呂の歌は小説「波千鳥」のテーマでもあり、主人公の心の迷いをあらわす鍵である。柿本人麻呂は、琵琶湖をおもってうたったが、小説『波千鳥』では熱海の海の描写と重ねている。この小説は叙述が美しい。波が星のようだとか、海がピンク色だとか。主人公の妻のアクセサリーの真珠が、夕焼けの空と波とがぼやけ、海の色がピンク色に見えるという。この本を読み、熱海のことを懐かしく思い出したので、いまサンバードの記事を書いている。

 

サンバードはアメリカンダイナーのようなカウンターがみごとだ。
海岸沿いにあるので、窓側に座ると異国情緒を感じる。そういえば、むかし航空会社の仕事をしていたとき、窓側の席を「窓際(まどぎわ)」と言わないようにとても厳しく注意された。本当にまどぎわの人が聞いたら怒るからだそうだ。たった二文字のことばの違いのせいで大変なクレームとなったものだ。

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静岡県熱海市東海岸町2-15

【2017年3月訪問】

【今日の(元外航船員の)伯父の写真】

純喫茶のインテリアにアメリカンダイナーのよう。という形容詞を好んで使うが、これが本当のアメリカンダイナーの写真だ。昭和30年代に取られたアメリカのカフェのウエイトレスの写真。制服がとても可愛い。

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【神奈川県:横浜市】馬車道十番館

今日は馬車道十番館の事を書こうと思う。横浜は、業務でお世話になる企業やお役所がありで、意外と訪問する機会が多い街だ。船員用の福利厚生施設〈ナビオス横浜〉で宴に参加したことも幾たびかある。ナビオスはいわゆるビジネスホテルのような宿泊施設だが一般の方も宿泊可能だ。フロントには「ご安航をお祈りします」を意味する信号旗(UW旗)が掲げられていたり、レトロな趣のなかなか味わいのあるホテルだ。近辺には、桜木町馬車道など、昔ながらの喫茶店がけっこう残っているので、寄り道をせずにいられない。

 たとえば、馬車道のアミーコとか

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 石川町のモデルとか。

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 今回は、馬車道の有名店に行った。西洋文化が花開いた明治時代の横浜を味わえる横浜ムゥドたっぷりな洋館だった。

この日は、有名なプリンを注文したい気持ちをおさえ、「氷ピニャコラーダ」を注文した。みせさきに氷の旗が翻っていたせいもあり、心はもうかき氷メニューまっしぐらだ。珍しい味わいにも興味津々だ。味は、というと、ココナッツミルクシロップと生パイナップルがたっぷりだ。馬車道が発祥という、アイスクリンも入っていた。ピニャコラーダといっても、このシロップはノンアルコールだ。この日、そとではポケモンパレードが行われたいた。レアポケモンが大放出らしい。ハンター達が黄色い服を身につけ十番館の前にも列をなしていた。そのおかげか、私の心はポケモンに、パインに、イエロー色にすっかり染まった。

横浜はいろいろな発祥の地

明治時代の絵画や、当時を偲ばせるインテリアはとても落ち着く。横浜は洋館が多いが、その雰囲気を味わいながらお茶ができるというのは、唯一無二な場所だ。私はやはり船の絵が気になりなる。港町横浜ならではの帆船の模型も見つけた。先ほども馬車道はアイスクリームの発祥の地だと書いたが、横浜はいろいろなものの発祥の地だそうだ。日本で初めて電話交換が行われた場所でも有り、〈電話交換創始の地〉でもあるという。お店の前には、明治時代を思わせる公衆電話ボックスがあったが、そもそも今では公衆電話自体が珍しい。さて、かき氷を食べた後は、冷えてきたので〈馬車道ブレンドコーヒー〉を注文した。生クリーム、ミルクとお砂糖のトレイも出てきて、まずはじめはブラックで飲み、次に生クリームを添えてウインナーコーヒーにして楽しんだ。次こそレンガをモチーフにした四角くて固めのプリンを注文しようと思う。

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【今日の伯父の写真】

さてせっかくの横浜の回なので、今日は昭和30年代の横浜マリンタワーの写真を載せましょう。ここは変わらず今でもお目にすることができますね。いつか登ってみたいです。

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【2017年8月訪問】

神奈川県横浜市中区常盤町5-67 1F

【閉店した喫茶店】まとめ *1.宝石 2.歩歩 3.スカラ座 4.沙婆裸 5.テンダリー

秋は船が出た後の港のようだ。

気づいたら先ほどまでそこに繋がれていた船がいなくなり、残像が波に消されてだんだんぼやけていく。夏の終わりは寂しげな気分になるので、それならいっそ究極に悲しみに浸りきってしまおうと思う。
こんかいは、残念ながらその長い歴史を閉じた喫茶店をまとめようと思う。

さみしさはまとめて放出しよう。
まずは、

1.板橋駅近くにかつて存在した
【純喫茶 宝石】

王冠のようなロゴの看板が印象的だ。既視感あると思ったら、
グリーティングカードで有名なホールマーク社のロゴにちょっと似ている。
だからdeepな内装のわりには、ファンシーな印象が残っている。
マンハッタンの色あせた大きな写真が、壁一面にキラキラ輝いていた喫茶店だった。
店内にはインベーダーゲームもあった。看板と同じデザインのマッチも可愛かった。

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2.練馬区江古田にかつて存在した
【珈琲舎 歩歩】

地元マダムが休日におしゃべりに来る、街に馴染んだ喫茶店。引越しの都合でこのお店を閉店することになったと聞いた。優しいお母さんが作る太陽のようなオレンジのナポリタンは。温かい美味しさだった。

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3.新宿にかつて存在した

スカラ座

閉店のニュースが流れた時のファンの悲痛な叫び声はいまだ記憶に残っている。長い歴史とともに、非常に愛された名店だったことがわかる。かつて私が新宿に勤務していた頃、愛煙家の先輩とランチ後の一服によく通った。私が勤務した新宿のオフィスも今はもうない。思い出の在り処がだんだんなくなっていく気持ちは、ヨドバシカメラ前のバスターミナルからバスを見送ったあとのさみしさに似ている。インテリアは重厚な歴史の香りを残していた。

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4.新宿にかつて存在した

【沙婆裸】
2015年の年末にその一報を耳にしました。靖国通り新宿三丁目と歌舞伎町界隈の間の大通り沿いにありました。意外なところに奇跡的に残っていた喫茶店でした。まあるいソファとミッドセンチュリーのようなインテリアが心地よかった。マダムが、『これでやっと休めるわ、ずっと働いてたのよ。』と最高の笑顔で見送ってくれました。”本日は閉店しました”の札がもう、裏返ることはありませんでした。

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5.葛飾区金町にかつて存在した

【テンダリー】
どこかの本で読んだのですが、このお店は音楽家だったマスターが開店し、長年ご夫婦で仲良く営業されていました。数年前にマスターがなくなり、その後マダムが一人で切り盛りしていたお店でした。マスターと共に過ごしたお店をできる限り続けようという温かい愛を感じるお店でした。常連さんがほとんどでお客さんが食後に食器をカウンターまで片付けたり、マダムは買い物に行くからとお客さんを残して外出したりするゆるい感じが心地良かったのです。ここはナポリタンが美味しいとのこと。オーダーすると、肩をガックリ落とし『またか〜』とつぶやいたマダムの姿に思わずほんわかしてしまいました。

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港というものは郷愁を誘う景色だ。船出はさみしい。だが、そこは行ってらっしゃいといらっしゃいが交わる場所だ。いつかそこにかつてあった景色と、新しい景色がグラデーションになり一体化していくのだろう。

【すべて2015年訪問】

【東京都:駒込 北区西ヶ原】フランス菓子CADOT (カド)*2017年8月31日閉店*

洋菓子CADOT(カド)は北区西ケ原にある洋菓子店だ。
川端康成が愛したお店として、それはそれは別格の存在感がある。
店内には直筆の推薦文があり、氏の愛好ぶりがありありと浮かんでいる。歴史的なお店が消えていこうとする瞬間にいると、どうしても感傷的にならざるをえない。

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川端康成直筆の推薦状のあるお店

カド創業者である高田壮一郎氏のお父様が、川端康成氏と親交があったそうだ。
川端氏は、カドのオープン前に見本品を食したとき、フランスの本物の味を日本人に知ってもらえることを本当に喜んでいたようだ。直筆の推薦文から、このお店のオープンを心待ちにしていた様子が伺える。

高田氏は、当時すでに在フランス日本大使館のレセプションに於いて菓子制作を担当していた。その腕前を高くかわれていた職人だった。親友のご子息の成長は我が事のように嬉しいことだろう。川端氏は

フランスでも滅多に味へない本格的な良心的な作品である。

とカドの菓子を大絶賛している。他にも文豪の川端氏には史跡や博物館はあるだろうが、プライベートに訪れたこの街角の個人商店は、仰々しくなく文豪に近づける気がして、大変良かった。

隙間に漂う思い出

田山花袋の「東京の三十年」によると、明治期には西ケ原周辺にある飛鳥山は、富士山が見える名所だったようだ。富士山の半分は東京のものだと言って、人々は東京から見える富士山を楽しんだとのこと。現在の東京では、高い建物に登らない限り、富士山がみえるなんて想像ができない。西ケ原周辺は、いまでも東京の原風景を偲べる感があるが、個人的に飛鳥山公園には特に思い入れが深い。父親に連れられ路面電車に乗ってよく来ていた。そこには珍しい回転式の展望台があり、そこでポップコーンを食べるのが好きだった。でも、その展望台も今はない。東京からは、なくなっていくものばかりだ。人の思い入れというものは、新しいものでは埋められない。思い出はほんのわずかな隙間に収められ、想像力だけが養われる。それでも顔をあげると、流れる空と季節が巡ることは変わらないと気づく。そして美味しかったとか、温かった気持ちだけがぼんやりと思い出される。カドのマダムはとても優しい。夏休みに、海や山のあるおばあちゃん家に行き、帰りたくなかいと駄々をこねたことを思い出す。夏が終わるのは嫌だたなぁ。思い出だけを心に残して日常に戻る。その思いを深呼吸で体にしみわたらせ、また日々過ごしていく。

バタークリームへの憧れ

バタークリームのケーキは昔はあまり好きではなかった。今はバタークリームへの憧憬の方が強い。早速カドの人気ケーキである〈モカ〉にフォークを入れる。丁寧に作られていると思う。バタークリームのモカは、濃厚こってりな口当たりだ。口の中でとろけてふわっと消えて無くなるケーキではない。ずっしり重みのあるスポンジに重厚なクリームだ。ほんのりした苦味が大人の味だ。あぁなくならないでほしい。ずっと残っていてほしい。これだ。私が子供の頃、年に一度の記念日に買ってもらえたケーキといえばこのバタークリームの味なのだ。私が物心ついたときに感動したケーキだ。他に好きなものができても、やっぱり最初の衝撃って覚えているものだ。

1960年当時の最新だったケーキは、今も変わらずおいしい。変わらないことの素晴らしさを感じる。同じことをずっと続けることってものすごい才能だ。誠実でコツコツと、真心を感じる。しかも57年も続いたのだ。日本に本物を紹介してくれたお店だ。感謝しかない。本当に長い間ありがとうございました。

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東京都北区西ヶ原1-49-3

【2017年8月訪問】