純喫茶丸 8knot    〜喫茶店で考えた〜

2015年からの純喫茶訪問ブログ。純喫茶をはしごする船ということで”純喫茶丸”という船の名前がタイトルです。

【東京都:御茶ノ水】画廊喫茶ミロ 喫茶店の旅 丸ノ内線全駅の制覇の巻その20 *御茶ノ水編*

 丸ノ内線全制覇の旅のつづき。今回は、御茶ノ水駅近くの画廊喫茶ミロだ。
訪問順でいうと、喫茶店巡りを開始してから、片手で数えられる段階できた。

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◯◯してミロ〜〜!

三島由紀夫氏も訪問したというミロ。画廊喫茶だから、画家のミロから名付けたのかとまず思う。店内にもミロの絵があるし、それも由来の一つなのだが、もう一つストーリーがある。
「飲んでミロ、来てミロ、入ってミロ」という語呂合わせからきているという。
そのユーモアに惹かれた。同時に「やってミルク♪」というフルーチェのCMを思い出した。

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ロマンってそもそもどういう意味?

 細い路地の途中に入り口があり、知らなければ素通りする場所にある。最近は喫茶店巡りが好きになり、看板を探すようになったので、街歩きが楽しい。周りは似通ったチェーン店の看板がならぶなか、なぜかこのお店の看板はほかとはちがうオーラがする。目に飛び込んでくる。

このお店にも通った三島由紀夫氏は、船や少年の冒険といったロマンを小説で描いている。同世代の北杜夫氏も同様のテーマが多い気がするが、その当時の流行というよりはいつの時代でも共通のテーマなのだと思う。

ロマンというのは抽象的な言葉なので辞書を引こう!

ロマン「①小説、散文の物語。多くは長編②ロマンティックな事柄、気持ち」(出典:岩波国語辞典 第五版)

では、散文とはなんぞや。

散文「定型や韻律を持たない普通の文章⇄韻文」(出典:同上)

韻文とはなんぞや、

「①響。音の出だしに続いて聞こえる部分。音色〈余韻、哀韻、音韻、松韻〉②略③文学上、同一または類似の音韻を文中の定まった位置に繰り返すこと。〈韻をふむ〉「韻律、押韻、頭韻、脚韻」(出典:同上)

辞書の中の言葉がはっきり理解できないから、 次々と辞書をひいていく。

結局、
ロマンとは、ロマンティックな事柄や気持ちのことを指すようだ。

で......そ その......ロマンティックの意味も知りたい。

ロマンティック 「現実の平凡さ、冷たさを離れ、甘美で空想的、情緒的または情熱的である様」(出典:同上)

たかが小説を読むのに、こんなことまでするのかと思うだろうが、

同じように、わからない言葉を延々と辞書で調べて深みにはまるシーンが、
北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』に出てくるのだ。

子供の時好きだったこと

私は思い出した。幼少期に、本を読ん、わからない言葉を辞書で延々と調べていくのが好きだった。知らないことを調べるのに夢中になる。辞書の説明文の意味がわからず、その意味をまた調べていく。辞書のページからページへ、と言葉をネットサーフィンのするように永遠に遊んだ。

同書の、辞書で調べ続けるシーンをみつけたとき、
なんと懐かしい気持ちになったことか。
言葉を大切に扱いたいと思う気持ち、それが私の純粋な気持ちかもしれない。

「本に書いてあることをそのまま暗記するだけではいけない、覚えることよりも自分で考え出す方がずっと大切だ。
しかし考えるためにはまず最小限度のことを覚えなければならない。
最小限度という言葉がわからない人は、さっそく字引を引いてみると。」(出典:北杜夫「船乗りクプクプの冒険」集英社文庫

北杜夫は本職は外科医でありながら、海の世界で働いたことがある。『どくとるマンボウ航海記』をかくきっかけとなった船医としての経験がある。
水産庁の調査船、照洋丸に1958年に乗船した後、1960年に『船乗りクプクプの冒険』を書いているので、同書は、北杜夫の船上での経験が反映されている。

エンドレス辞書引き

商船学校や海員学校など、専門の学校で勉強をしない限り、海の専門用語は素人には難しいと思う。海と陸は言葉が違う。むしろ海で言葉がうまれたのが先で、海で誕生した言葉が陸に転用されているのだ。でも現代はまるで逆のような扱いになっている海の用語は、陸では出あわないことが多数ある。
私にとっても、ほとんど外国語のようなものだった。もしくは大人の会話が理解できない赤ちゃんのように、職場の会話が理解できない時期があった。中途で素人の私が初めて船の世界に入った時、ほとんどの場面で辞書をひいた。

北杜夫氏もきっと船上で未知の言葉に出合い、その都度辞書をひきながら奮闘していたのではないか想像する。世界を理解したい、考えたい。でもそのためには共通認識を得なければいけないと。

奮闘と表現したが、逆にそれは充実して楽しいことでもある。


「そもそも」とか、「なんで?」と考えることは、とても面白い。エンドレスに辞書をひくこと、私にはその作業が面白い。
未知の言葉を自分の言葉にしていく過程がすきだ。

北杜夫氏もそんな気分だったのかと想像すると、この小説は他人事でなく、フィクションでもなくなってくる。自

今でも、夢中になることって、実は子供の頃に好きだったことなのではないか。忘れかけていたが、そういえば好きだった、ということを思い出すと、温かい気持ちになる。この本は私に大事なことを教えてくれた一冊だ。

平凡から離れたい時に行ってミロ

茶店の看板やインテリアを見て心踊るのは、私にとってはロマンだ。現実の平凡さを離れたいという気持ちがある。東京の平凡から。平凡から離れたくてロマンを求めて喫茶店に行くのだと思う。

辞書で調べ続けることと、読書と、喫茶店訪問と。好きなものをあげると、一見バラバラのようだが、同じ根っこがあるな、と思う。

ミロのメニューは興味がひかれる。注文したのは、スパゲティミラネーズというメニューだが、ナポリタン以上にイタリアの人に「???」という顔をされそうな名称だ。フルーツが添えられ、彩りも豊かでスパゲッティ版お子様プレートのようだ。
店内は一度改装されているが、いろいろと平凡から離れられるお店。平凡から離れないと近づけないもの。それが、今の時代は人情なのかもしれない。

平凡に疲れたら是、非ミロに行ってミロ♪

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 東京都千代田区神田駿河台2-4-6

【2015年5月訪問】