【静岡県:熱海市】サンバード*川端康成の波千鳥とともに*
熱海駅に出迎えていた車が伊豆山を通り過ぎ、やがて海の方へ円を描くように下っていった。宿の庭へはいっていた。傾いた車の窓に、玄関の明かりが近づいて来た。(出典:「波千鳥」川端康成)
(大意は、”昔を思い出してしんみりしてしまう。”という意味
これは川端康成の小説『波千鳥』の冒頭文だ。
『千羽鶴』の続編として書かれたものだが、作中には日本の自然風景がたくさん盛り込まれている。四季の豊かな色あいを感じる彩りあふれる名作だと思う。
小説の冒頭は、主人公が新婚旅行で訪れた熱海が舞台となっている。
熱海の東海岸へ向かうには、来宮駅から長くくねった坂を下って海岸へ出る。
純喫茶サンバードは熱海駅の隣駅である来宮駅が最寄りだが、『波千鳥』の冒頭文のように、坂道の途中、宝石のように光る波を家々の間に見ながら、海岸線に降りる。『波千鳥』というタイトルが詩趣に富んでいる。
波千鳥とは、妻が着ている千鳥模様の襦袢の裾を見て、主人公が思い描いた世界観だ。
淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに古思ほゆ
(あふみのうみ、ゆふなみちどりながなけば、こころもしのに いにしへおもほゆ)-万葉集: 柿本人麻呂
主人公は妻の襦袢に描かれた千鳥を見て、柿本人麻呂の歌を思い出す。
そして、『これは波千鳥だね』と褒めた。この科白がタイトルのもととなった。
この人麻呂の歌は小説「波千鳥」のテーマでもあり、主人公の心の迷いをあらわす鍵である。柿本人麻呂は、琵琶湖をおもってうたったが、小説『波千鳥』では熱海の海の描写と重ねている。この小説は叙述が美しい。波が星のようだとか、海がピンク色だとか。主人公の妻のアクセサリーの真珠が、夕焼けの空と波とがぼやけ、海の色がピンク色に見えるという。この本を読み、熱海のことを懐かしく思い出したので、いまサンバードの記事を書いている。
サンバードはアメリカンダイナーのようなカウンターがみごとだ。
海岸沿いにあるので、窓側に座ると異国情緒を感じる。そういえば、むかし航空会社の仕事をしていたとき、窓側の席を「窓際(まどぎわ)」と言わないようにとても厳しく注意された。本当にまどぎわの人が聞いたら怒るからだそうだ。たった二文字のことばの違いのせいで大変なクレームとなったものだ。
【2017年3月訪問】
【今日の(元外航船員の)伯父の写真】
純喫茶のインテリアにアメリカンダイナーのよう。という形容詞を好んで使うが、これが本当のアメリカンダイナーの写真だ。昭和30年代に取られたアメリカのカフェのウエイトレスの写真。制服がとても可愛い。
【神奈川県:横浜市】馬車道十番館
今日は馬車道十番館の事を書こうと思う。横浜は、業務でお世話になる企業やお役所がありで、意外と訪問する機会が多い街だ。船員用の福利厚生施設〈ナビオス横浜〉で宴に参加したことも幾たびかある。ナビオスはいわゆるビジネスホテルのような宿泊施設だが一般の方も宿泊可能だ。フロントには「ご安航をお祈りします」を意味する信号旗(UW旗)が掲げられていたり、レトロな趣のなかなか味わいのあるホテルだ。近辺には、桜木町や馬車道など、昔ながらの喫茶店がけっこう残っているので、寄り道をせずにいられない。
たとえば、馬車道のアミーコとか
石川町のモデルとか。
今回は、馬車道の有名店に行った。西洋文化が花開いた明治時代の横浜を味わえる横浜ムゥドたっぷりな洋館だった。
この日は、有名なプリンを注文したい気持ちをおさえ、「氷ピニャコラーダ」を注文した。みせさきに氷の旗が翻っていたせいもあり、心はもうかき氷メニューまっしぐらだ。珍しい味わいにも興味津々だ。味は、というと、ココナッツミルクシロップと生パイナップルがたっぷりだ。馬車道が発祥という、アイスクリンも入っていた。ピニャコラーダといっても、このシロップはノンアルコールだ。この日、そとではポケモンパレードが行われたいた。レアポケモンが大放出らしい。ハンター達が黄色い服を身につけ十番館の前にも列をなしていた。そのおかげか、私の心はポケモンに、パインに、イエロー色にすっかり染まった。
横浜はいろいろな発祥の地
明治時代の絵画や、当時を偲ばせるインテリアはとても落ち着く。横浜は洋館が多いが、その雰囲気を味わいながらお茶ができるというのは、唯一無二な場所だ。私はやはり船の絵が気になりなる。港町横浜ならではの帆船の模型も見つけた。先ほども馬車道はアイスクリームの発祥の地だと書いたが、横浜はいろいろなものの発祥の地だそうだ。日本で初めて電話交換が行われた場所でも有り、〈電話交換創始の地〉でもあるという。お店の前には、明治時代を思わせる公衆電話ボックスがあったが、そもそも今では公衆電話自体が珍しい。さて、かき氷を食べた後は、冷えてきたので〈馬車道ブレンドコーヒー〉を注文した。生クリーム、ミルクとお砂糖のトレイも出てきて、まずはじめはブラックで飲み、次に生クリームを添えてウインナーコーヒーにして楽しんだ。次こそレンガをモチーフにした四角くて固めのプリンを注文しようと思う。
【今日の伯父の写真】
さてせっかくの横浜の回なので、今日は昭和30年代の横浜マリンタワーの写真を載せましょう。ここは変わらず今でもお目にすることができますね。いつか登ってみたいです。
【2017年8月訪問】
【閉店した喫茶店】まとめ *1.宝石 2.歩歩 3.スカラ座 4.沙婆裸 5.テンダリー
秋は船が出た後の港のようだ。
気づいたら先ほどまでそこに繋がれていた船がいなくなり、残像が波に消されてだんだんぼやけていく。夏の終わりは寂しげな気分になるので、それならいっそ究極に悲しみに浸りきってしまおうと思う。
こんかいは、残念ながらその長い歴史を閉じた喫茶店をまとめようと思う。
さみしさはまとめて放出しよう。
まずは、
1.板橋駅近くにかつて存在した
【純喫茶 宝石】
王冠のようなロゴの看板が印象的だ。既視感あると思ったら、
グリーティングカードで有名なホールマーク社のロゴにちょっと似ている。
だからdeepな内装のわりには、ファンシーな印象が残っている。
マンハッタンの色あせた大きな写真が、壁一面にキラキラ輝いていた喫茶店だった。
店内にはインベーダーゲームもあった。看板と同じデザインのマッチも可愛かった。
2.練馬区江古田にかつて存在した
【珈琲舎 歩歩】
地元マダムが休日におしゃべりに来る、街に馴染んだ喫茶店。引越しの都合でこのお店を閉店することになったと聞いた。優しいお母さんが作る太陽のようなオレンジのナポリタンは。温かい美味しさだった。
3.新宿にかつて存在した
【スカラ座】
閉店のニュースが流れた時のファンの悲痛な叫び声はいまだ記憶に残っている。長い歴史とともに、非常に愛された名店だったことがわかる。かつて私が新宿に勤務していた頃、愛煙家の先輩とランチ後の一服によく通った。私が勤務した新宿のオフィスも今はもうない。思い出の在り処がだんだんなくなっていく気持ちは、ヨドバシカメラ前のバスターミナルからバスを見送ったあとのさみしさに似ている。インテリアは重厚な歴史の香りを残していた。
4.新宿にかつて存在した
【沙婆裸】
2015年の年末にその一報を耳にしました。靖国通りの新宿三丁目と歌舞伎町界隈の間の大通り沿いにありました。意外なところに奇跡的に残っていた喫茶店でした。まあるいソファとミッドセンチュリーのようなインテリアが心地よかった。マダムが、『これでやっと休めるわ、ずっと働いてたのよ。』と最高の笑顔で見送ってくれました。”本日は閉店しました”の札がもう、裏返ることはありませんでした。
5.葛飾区金町にかつて存在した
【テンダリー】
どこかの本で読んだのですが、このお店は音楽家だったマスターが開店し、長年ご夫婦で仲良く営業されていました。数年前にマスターがなくなり、その後マダムが一人で切り盛りしていたお店でした。マスターと共に過ごしたお店をできる限り続けようという温かい愛を感じるお店でした。常連さんがほとんどでお客さんが食後に食器をカウンターまで片付けたり、マダムは買い物に行くからとお客さんを残して外出したりするゆるい感じが心地良かったのです。ここはナポリタンが美味しいとのこと。オーダーすると、肩をガックリ落とし『またか〜』とつぶやいたマダムの姿に思わずほんわかしてしまいました。
港というものは郷愁を誘う景色だ。船出はさみしい。だが、そこは行ってらっしゃいといらっしゃいが交わる場所だ。いつかそこにかつてあった景色と、新しい景色がグラデーションになり一体化していくのだろう。
【すべて2015年訪問】
【東京都:駒込 北区西ヶ原】フランス菓子CADOT (カド)*2017年8月31日閉店*
洋菓子CADOT(カド)は北区西ケ原にある洋菓子店だ。
川端康成が愛したお店として、それはそれは別格の存在感がある。
店内には直筆の推薦文があり、氏の愛好ぶりがありありと浮かんでいる。歴史的なお店が消えていこうとする瞬間にいると、どうしても感傷的にならざるをえない。
川端康成直筆の推薦状のあるお店
カド創業者である高田壮一郎氏のお父様が、川端康成氏と親交があったそうだ。
川端氏は、カドのオープン前に見本品を食したとき、フランスの本物の味を日本人に知ってもらえることを本当に喜んでいたようだ。直筆の推薦文から、このお店のオープンを心待ちにしていた様子が伺える。
高田氏は、当時すでに在フランス日本大使館のレセプションに於いて菓子制作を担当していた。その腕前を高くかわれていた職人だった。親友のご子息の成長は我が事のように嬉しいことだろう。川端氏は
フランスでも滅多に味へない本格的な良心的な作品である。
とカドの菓子を大絶賛している。他にも文豪の川端氏には史跡や博物館はあるだろうが、プライベートに訪れたこの街角の個人商店は、仰々しくなく文豪に近づける気がして、大変良かった。
隙間に漂う思い出
田山花袋の「東京の三十年」によると、明治期には西ケ原周辺にある飛鳥山は、富士山が見える名所だったようだ。富士山の半分は東京のものだと言って、人々は東京から見える富士山を楽しんだとのこと。現在の東京では、高い建物に登らない限り、富士山がみえるなんて想像ができない。西ケ原周辺は、いまでも東京の原風景を偲べる感があるが、個人的に飛鳥山公園には特に思い入れが深い。父親に連れられ路面電車に乗ってよく来ていた。そこには珍しい回転式の展望台があり、そこでポップコーンを食べるのが好きだった。でも、その展望台も今はない。東京からは、なくなっていくものばかりだ。人の思い入れというものは、新しいものでは埋められない。思い出はほんのわずかな隙間に収められ、想像力だけが養われる。それでも顔をあげると、流れる空と季節が巡ることは変わらないと気づく。そして美味しかったとか、温かった気持ちだけがぼんやりと思い出される。カドのマダムはとても優しい。夏休みに、海や山のあるおばあちゃん家に行き、帰りたくなかいと駄々をこねたことを思い出す。夏が終わるのは嫌だたなぁ。思い出だけを心に残して日常に戻る。その思いを深呼吸で体にしみわたらせ、また日々過ごしていく。
バタークリームへの憧れ
バタークリームのケーキは昔はあまり好きではなかった。今はバタークリームへの憧憬の方が強い。早速カドの人気ケーキである〈モカ〉にフォークを入れる。丁寧に作られていると思う。バタークリームのモカは、濃厚こってりな口当たりだ。口の中でとろけてふわっと消えて無くなるケーキではない。ずっしり重みのあるスポンジに重厚なクリームだ。ほんのりした苦味が大人の味だ。あぁなくならないでほしい。ずっと残っていてほしい。これだ。私が子供の頃、年に一度の記念日に買ってもらえたケーキといえばこのバタークリームの味なのだ。私が物心ついたときに感動したケーキだ。他に好きなものができても、やっぱり最初の衝撃って覚えているものだ。
1960年当時の最新だったケーキは、今も変わらずおいしい。変わらないことの素晴らしさを感じる。同じことをずっと続けることってものすごい才能だ。誠実でコツコツと、真心を感じる。しかも57年も続いたのだ。日本に本物を紹介してくれたお店だ。感謝しかない。本当に長い間ありがとうございました。
【2017年8月訪問】
【東京都:三ノ輪橋】パーラーオレンジ
今日の記事は、ぜひ書き残したい珠玉の喫茶店を紹介する。
パーラーオレンジは都電荒川線 三ノ輪橋近くにある喫茶店だ。
きっと喫茶百景
屋根を覆う緑と、橙の灯りと薄暮の光とが珠となって刺繍(ぬいとり)をする。赤いベルベットのソファに灯りのほのかな店内。もう、たそがれずに入られない。田山花袋の『東京の三十年』も永井荷風の『日和下駄』も移りゆく東京の姿を偲ぶエッセイだが、いつの時代においても、新しいものの中に古きを見つけ、日がな詩趣のありかを探すことが、ひそかな愉しみのようだ。関東の駅百景に選ばれた都電の三ノ輪橋駅は、春にはたくさんのバラに包まれながら、都電の出発の鐘が響くさまは、貴重な懐かしい東京の一コマだ。
人情商店街ジョイフル三ノ輪
帰りにジョイフル三ノ輪を道草した。日和下駄ならぬ白いエナメルのサンダルを履いて。夕方の商店街を歩くと、なんとも愁が胸にこみ上げてくる感じがある。
足を止めずに入られない練りもののお店。ちょうどこの時間は、遊び盛りの子供たちが家に帰る頃ころ、あったかいご飯が待っている食卓に、グツグツ煮込まれたお鍋のいい匂いをそうぞうする。
オレンジはそんな東京の懐かしい時代の空気をまとった喫茶店だ。お店から出ても立ち去りがたく、振りかえり振りかえり何度も外観を眺めた。
【2017年4月訪問】
【東京都:方南町】ボルボ 喫茶店の旅 丸ノ内線全駅制覇の巻その27*方南町*
丸ノ内線全駅制覇の旅は、まだまだ続く。ゴールイブの今回は、方南町のボルボだ。
駅から徒歩10分くらい。初めて歩く道だった。
注文を変えて欲しがる喫茶店
「うちの紅茶あんまり美味しくないんだよ。アイスコーヒーにしておきな。」
食後のドリンクにアイスティーを頼むと、こんな回答だった。
あるひとは、電話でナポリタンの有無を聞いたら「うちのナポリタンね〜、うまくないよ」と言われたそうだ。味わい深いマスターが魅力の喫茶店だ。
インターネットにもお店の情報は書いてあるが、定休日や定時はあってないようなものだそうだ。無事入店できたに、店内のボードを確認したところ、営業時間は書いてあるものの、意味のない記号だった。マスターの気分によるのだろう......。そんなゆるさがいい。
話し相手が欲しいおばあさんがマスターに愚痴をこぼしたり、近辺で働く方々が一服の休憩をするような、のどかな喫茶店だ。だから細かいことは気にしなくていい。アイスティがダメならアイスコーヒーでいい。「ほら、飲んでみな。美味しくないから!」といい最後にはおまけにアイスティーも出してくれた。こんなマスターがいる喫茶店は大当たりだ。
枠にはめてみんな仲良し。
方南町は初めて下車した。駅前の商店街はレトロで人情みがたっぷりだ。
長屋のように、ほぼ同じ規模の商店が並んでいる。上のほうにある丸い看板は、新規のチェーン店も、老舗の商店もどんなお店でもお揃いのかたちだ。テナントに入る際に、この看板の枠に収めるのが条件にしているのだろうか。真相は不明だが、どのお店もみな仲間のように同居していて心地よい。どこが目立つとか、大きいとかそういうことよりも、静かな共存を目指しているかのようだ。
時代ごとに流行があれば、お店の傾向が違い、ロゴのフォントが違ったり、色彩が異なるということはあり得る。ごちゃごちゃしている町がある一方で、ここは不思議と整然としている。看板の大きさが整っていると、こんなにスッキリするのだと実感する。
丸ノ内線の駅のホームからして、赤と白の二色だけで見事なコーディネートだ。
派手な色使いだけど、どこか落ち着きがある。終着駅のせいか、電車も一緒にホッとしているかのようだ。この方南町という駅全体が、閑寂な郊外の空気を醸し出している。本当に並みじゃない、杉並。
丸ノ内線沿線漂泊 ラストイブ
この散歩は、24時間乗り降り自由の〈東京メトロ24時間乗車券〉を利用した。
もしお目当のボルボが閉まっていてもまた来ればいいと思える。
ちがう駅の喫茶店に向かったらいいのだ。そんな風に心の余裕がある日は、不思議と物事がうまくいくと思う。逆に計画をギチギチに詰め込んだ日に限って、臨時休業の札をみることになったりして、まるで心を見透かされているかのようだ。
潮時はいつか巡って来る。だから、間が悪い日や勘が鈍る日があったら、とどまればいい。無理しない無理をとおさない。
喫茶店巡りを通して、なんだか精神が鍛錬されたきぶんだ。
ここのナポリタンは、太麺で昭和の大衆食堂のような懐かしい味わいがする。
「うまくないよ」というのは、マスターの気の利いた冗談だった。
【2017年3月訪問】
【東京都:阿佐ヶ谷】珈琲雨水*2017年8月31日閉店*
閉店のニュースを聞き、急遽記すことにした。阿佐ヶ谷の珈琲雨水だ。
阿佐ヶ谷という町は、北に南に星の数ほど飲食店がひしめくエリアだ。
特に北口は個性的な喫茶店がかねてより多くあり、かつ新しく生まれ続けているところだ。
カフェや、喫茶店だけでなく、ラーメン屋さんも印象深い。航海屋という現役航海士たちがこぞって喜んだラーメン屋さんの近くにある。
ここは多国籍で新旧の勢いがともに渦巻く商店街の2階にある。
階段を一段一段のぼるごとに、その喧騒が静まっていく不思議な吸引力を持つお店だった。
静かで読書に耽れるお店だが、阿佐ヶ谷はお祭り大好き!な町でもあるので、祭囃子がBGMなんていう日もあった。
珈琲もケーキもとても丁寧なつくりで、きっとこれからも阿佐ヶ谷で長い歴史を育んでいくのだろうなと勝手に期待していたので、閉店のお知らせはとても悲しい。
けれど、最近徳島県の鳴門海峡で目の当たりにした渦巻きには、かなり人生観が動かされた。
海や波の流れのように、今はある場所から離れても、いつかまた一つの渦になるという大自然の営みに、ただただ悠久を感じる。日々は泡沫のように消えていくが、ここで時を過ごした人の気持ちや、このお店での思い出はいき続け、いつかどこかで現れ、また一つの渦となり出会っていくのだろうと思う。
ここの本棚で出会った本たちは、波のように新しい思潮を私に連れてきてくれ、これからも数珠つなぎで縁を繋いでいくと思う。幾つかの一目惚れした本は、いまは私の本棚にある。
有名な”方丈記”のごとく、
行く河の流れは絶えずして
であるが、その水は何処かで流れていた水だ。別の何処かでまた出会う。
ここは、かつて元気のなかった私を見兼ね、『喫茶店が好きだと聞いた』からと連れてきてくれた畏友との思い出の場所だ。ここに一緒に来た人々や過ごした時間は、映像のように鮮明に残り、思い出す数だけいつまでも心の大海原で流れ続けていくことだろう。印象深い喫茶店だった。あと残り1週間...。
【2016年6月初訪問:他】